※広島県に旅行に行った際の一コマ(2021年)
こんにちは。
北海道札幌市中央区の税理士 板倉圭吾です。
今日は父との思い出。
父 板倉諭は2023年3月17日に亡くなりました。
もうすぐ三回忌。
父の若いころ
国鉄職員だった祖父と、飲食店などを営む一家で育った祖母の第3子として生まれた私の父。
中学校の頃に、より良い教育を受けるために実家のある浜頓別町から、小樽市の親戚宅に預けられました。
小樽潮陵高校を卒業後、医師を目指して受験をするも実らず、神戸商科大学(現在の兵庫県立大学)に進みます。
大学卒業後、菓子卸に就職し、すぐに母(板倉美穂子)と結婚。
2男1女(私が長男)を授かります。
祖父の入院を機に浜頓別に戻り、実家の家業(旅館業)を承継し、同時に中高生向けの学習塾を開きました。務めていた菓子卸との縁で道北地域の氷菓卸業も営みます。さらには親戚が経営する食堂も承継し、浜頓別町での事業を拡大させました。
子ども(私たち)との関わり
仕事をしながらも私たちとの関りは積極的で、夕方の食堂で、問題集「力の5000題」を解くのを見守ってもらったことや、旅館の駐車場で野球をした思い出が印象に残っています。
あとは、家族で演奏会!!
父がギター、母がマンドリンで伴奏し、子どもたちが歌う演奏会ごっこを良く開催していました。
弟と妹が音楽を職業としているのは、両親の影響が大きいと思っております。
私の中学校進学に合わせて
私が小学校卒業のタイミングに合わせて、母と子供たちは先に札幌市に移住します。
(父がかつて親戚の家に預けられて)「寂しかった思いは子どもにさせたくない、でも札幌で教育を受けさせたい」という願いを両立させるために、両親でいろいろ話し合った結果だと思います。
私が高校生になってから、浜頓別の事業を従業員に承継し、父も札幌に来ました。
通関士にチャレンジ
札幌に来た父は、すぐに事業を興すことはせず、国家試験にチャレンジします。
通関士(関税に関する専門資格)に一発合格し、物流関連の会社に営業職として就職しました。
その後、その営業活動で訪問した印刷業の会社をオーナーとして承継。
有限会社アートフラッグと命名しました。
「税に関する国家資格にチャレンジ」というのは、私が父から学んだことです。
まとめ
これが父が、今の私と同じくらいの年齢まで歩んできた歴史(ざっくり版)です。
穏やかで朗らかで、歌うが好きで、草野球をするのが好きな父。
今も近くで見守っていてくれているような気がします。